どくのメモ帳

どくイモムシの毒吐き場。ゲームレビュー記事「超ファミコシ珍拳EXPRESS」も連載中。

カノジョと永遠とゲーマーと天馬博士とかぐやロボットと

ラブプラスが続編決定だそうで。
今夏発売予定だそうで。


注意!!
ここから先は、「ラブプラスを心から楽しんでいる人」には
非常に不快であったり、「げんじつ」を突きつけられたりする要素が含まれています。
それでもよろしければ、「続きを読む」をどうぞ。


これを見た俺の第一感想は、「早すぎる」。
イベントは2年分入っているんじゃなかったの?
毎月の「おまじないイラスト」すらコンプしないまま移行させるの?


嘆かわしい話である。
「今日日のギャルゲーはエンディングとCGをコンプリートしたらもう遊ばなくなる。終りのないゲームを作りたい。」
そんな想いから「ラブプラス」が生まれたというのに、交際記念日(発売一周年)を待たずしてもう続編である。
なんだよーって感じ。
結局、金儲けのことしか考えてねぇんじゃねぇか。という気分になった。
コナミは自ら、「たった1本のゲームで永遠に遊ばせる事など不可能」と自ら言い切ったわけだ。
日進月歩の世の中。ましてやゲーム業界なら。人の心とて永遠とは限らぬ。
見よ。LLのCMでドラクエやマリオと同列にラブプラスを扱った任天堂でさえ、新機種の足音を漂わせているではないか。
たかがROMカートリッジ一つで、この時代の流れ、人の心の変化を乗り切るのは不可能。
それならば、定期的にバージョンアップ版をリリースし、なんとかして時代と人の心を動かさなくてはならない。
たとえ外野から「アコギな商売だ」と揶揄されようとも……。



「終りの無いゲーム、そして飽きることの無いゲーム」なんてのがもしも本当にあったなら、それはゲーム業界において驚異となるだろうね。
allaboutの田下ガイドの言葉を借りるなら「ユーザーの可処分時間を永遠に奪い続ける」ゲームになるわけだ。
他の新作ゲームに一切興味を持てなくなるほど、強烈な中毒性をもったゲーム。
そんなもの、他のメーカーが許しておくわけがない。
そこまで面白いなら俺も一度はやってみたいがね。
毎月新作が星の数ほど発売されるなら、それぞれのゲームにはやっぱり「終わり」が欲しい。
前に書いた「やり込み要素」の話とも繋がるだろうけど。


それはともかくだ。
今回のラブプラス続編発表で、俺はラブプラスに対する考え方がちょっと変わった。
そして、俺はあるとんでもない事に気がついた。


「俺、おまじないイラストと着信ボイスの為にしかラブプラスを起動していない…」


説明しよう!
ラブプラス」の恋人モードでは、毎週掲示される「おまじない」の条件を3週クリアすると「おまじないイラスト」が一枚完成するのだ。
また、「スタンプラリー」コーナーにて毎月掲示される3箇所のスポットでカノジョとデート及び呼び出しをすると、ゲーム内のメール受信時用の「各カノジョの着信ボイス」がもらえるのだ。


また一週間が始まる。ラブプラス起動して、おまじないを確認。
「近所の公園でカノジョとキスができればハッピー。」?今週は楽勝だな。
ああー。今週末は3人分デートか。スタンプラリーのスポットを確認して…
やたー。3人分イラスト揃ったしスタンプラリーも3人分巡った。これで今月は……


・   ・   ・


情けない話である。
俺は「ゲームではない、ゲームの概念を超えた何か」であるラブプラスでさえ、
「カレシとして」ではなく、いつしか「ゲーマーとして」しか向かい合えなくなっていたのだ。
ゲーマー… そう、クエストを消化し、リストの空きを埋め、見飽きたシナリオを飛ばしながら何周もやり続ける、自ら楽しむ心を失いかけた「作業機械」……
やり込み要素に溢れるゲームの中で、俺はそんな哀れな存在になりかけていたのだ。


人と人との愛すら、永遠とは限らない。ならば、決してうつろうことの無い、2次元への愛情は?
己がどんなに変わっても、時代がどんなに変わっても、2009年のまま変わらずにプレイヤーの愛を求め続ける「カノジョ」達に、応えてあげることができる者が、どれだけいるだろうか?
「オレは大丈夫だ!!!!」…そう言い切れる者がいるならば、俺は別に止めはしない。製作者達も、きっと喜ぶだろう。
だが、その気持ちに揺らぎが生じ始めている者達も、少なからずいるはずだ…。
そう、まるで死んだ息子の身代わりとしてアトムを造り、何時まで経っても成長しないアトムに嫌気がさしてアトムをロボットサーカスに売り飛ばしてしまった、天馬博士のように…。


脳トレ」「nintendogs」などの『非ゲーム』的なものが任天堂から打ち出されなければ、「ラブプラス」も世に出ることは無かっただろう。
やはり、「ゲーマー」がラブプラスに気やすく手を出すべきでは無かったのかも知れない。
ラブプラスのカノジョ達が「生身の人間と変わらない、かけがえの無い存在」となるか、「所詮はプログラムの存在、後は超長期的なやり込み要素の塊」となるかは、あくまで個人の主観であるが、
俺は、後者の考えに行き着きそうな気がする………。


ドラえもんの「かぐやロボット」というひみつ道具を思い出した。
友達欲しさから、「かぐやロボット」を起動させてしまうのび太
「かぐやロボット」は、健気で寂しがり屋な少女型のロボット。
だが、のび太はそんなかぐやロボットの心を繋いであげることは出来なかった。
最後は、かぐや姫が月の従者に迎えられるがごとく、かぐやロボットは子供のいない資産家にもらわれていくのだが。
ひみつ道具全百科」に載っていた「かぐやロボット」の記述で、ドラえもんが言っていた台詞が忘れられない。


「幸せにしてあげられる自信のない人は、絶対に軽い気持ちで使っちゃだめだよ!」


相変わらず順番もデタラメに書きなぐった。
とにかく、俺がラブプラスの続編発表にムッとした事、そしてラブプラスを続けることに迷いが生じ始めている事、
そのくらいが伝わってくれればいいかな、と。


僕が凛子を売った日
最後にこの記事を紹介して、俺は今日の更新を終えようと思う。
俺よりも先に答えを出した、一人の男の手記である。