どくのメモ帳

どくイモムシの毒吐き場。ゲームレビュー記事「超ファミコシ珍拳EXPRESS」も連載中。

うごくメモ帳3D・ワールドうごメモギャラリー終了宣言に寄せて

ニンテンドー3DSソフト『うごくメモ帳 3D』「ワールドうごメモギャラリー」サービス終了のお知らせ

平素は、弊社商品をご愛顧いただき、誠にありがとうございます。

このたび、2013年7月24日に配信を開始いたしました、ニンテンドー3DSソフト『うごくメモ帳 3D』の有料オンラインサービス「ワールドうごメモギャラリー」を、2018年4月2日(月)をもって終了させていただくこととなりました。

これに伴い、2017年10月2日(月)をもちまして、チケットの販売も終了させていただきます。


2017年9月8日。
家のwi-fiが止まり、ワールドうごメモギャラリーから隔絶され
執筆のやる気も消沈していた私を待っていたのは、任天堂からの
非情なる宣告であった。

うごくメモ帳が存在しなければ、今ここに私の存在はなかった。
もしも「うごくメモ帳」も「うごメモはてな」も存在しなければ今頃、
「仲間」と呼べる存在もなく、2chで延々と毒を吐き続け、
どんな仕事も長続きせず、働いている日々よりも職を探している日々の方が多くなり、
借金やら税金延滞金やらなんやらが貯まり続け、
自宅と通勤経路と職場、そして2chとゲームの中だけが
自分の世界でしかない、とんだクズがそこに無様に生き延びていたはずだ。

そして2013年、うごメモはてなが終わり、
ワールドうごメモギャラリーの時代がやってきた。

だが今、正直に言おう。
ワールドうごメモギャラリーの時代になろうとも、
私が愛したうごメモは「うごメモはてな」の中にあった。

うごメモ天使」も、「パイ増量キャンペーン」も、
いずれも「うごメモはてな」から引きずってきたものだ。
うごメモ天使はかなちゃんFINAL」でも、
うごメモはてな時代の作者たちが作ってくれたキャラばかり使ってきた。
その作者たちは、とっくの昔にうごメモ3Dに見切りをつけたというのに……
それでも俺はワールドうごメモギャラリーに「うごメモはてな」を取り戻そうとした。
だが、それはワールドうごメモギャラリーがweb上にすら開かれていない時点で、
叶うはずのない願いだったのだ。

うご子」の生みの親「ペキンさん」は、相変わらずドラゴンボールマニアであり続け、
うごメモキャラクターズ」の生みの親にして「3DSライン」の製作者「スカイ」さんは
DSi時代のメモを何の手直しもせず再投稿してそれっきり、
「fanatics」さんは行方不明、「棒人間(バンレンジャン)」の生みの親「けんじ」さんは
ブラック企業の被害者となった末行方不明。
「アフロ」「モコモコ」「スターマン」などの生みの親「FDD」さんこと
イノウエさんは人工肛門を装着する羽目になりつつもまだまだタフだ。
「研究員M」「レヴィア」「グゲルジズ」の生みの親「さかめがね」さんは
うごメモ時代のエッセンスを活かしたオリジナル作品「憂鬱くんとサキュバスさん」
が絶好調web連載中。「うごメモ天使カレン」の作者「中野じぇねらる」さんは
COMICO、LINEマンガなどのweb連載を経て今はTwitterで漫画を投稿している。
「MだSたろう」さんは、今や気軽に「モゲ」なんて呼べない強力なイラストレーターだ。
うごメモS.L.S」でフリーキャラオールスターもの全盛期をさ支えた「おやっさん」改め
「とむやさちえみ」さんは、とあるミュージシャンの楽曲PVを担当した。
「〇〇VSボウニンゲン」シリーズで不動の人気を築いた「たぁくみ」氏はとうとうワールドうごメモギャラリーには現れなかった。
うごメモはてな」において数少ない「プラチナうごメモ市民」の一人となった
山田たくや改め「マスターγ」氏は今やプラモデラー兼日常系アニメソムリエとしてTwitterで活動している。
そして、パイ増量キャンペーンの初代主催者「そうへい」氏は、Twitterにはいるらしいが
未だその存在を確認できていない。

もうこの中の誰もがうごメモにはいない。それでも中には、
もっと大きく自由な世界へ旅立って行った者たちも確かにいた。
彼らを尻目にうごメモに留まり続けた俺は、未だにうだつの上がらない
フルタイムパートであり、ようやく過去の税金の延滞金を完済できそうなところだ。
俺がワールドうごメモギャラリーに留まり続けたことは、本当に正しかったのだろうか……。

私がうごメモ3Dで唯一新しく立ち上げたもので、最後までやり遂げたものは
「ナビス」シリーズだけだろうか。「ナビス」を描いていたころまでは本当に楽しかった。
みんなもナビスたちが織りなす物語に一喜一憂し、たくさんのコメントを寄せてくれた。
だが、「ナビス完結編」を完成させ投稿した直後、全身を激痛が襲い、
それ以来執筆意欲が急激に低下し、気がつけばうごメモ天使の連載や
パイキャン完結PVに追われ、うごメモを描くことが負担になっていった。

名前ばかりで世界はおろか日本全国にすら開かれていない、
名前が長いだけの「ワールドうごメモギャラリー」。
不便なばかりのチケット&コイン制度。
いつまで経ってもセール価格のままのカラーお絵かきコメント。
一部の作者にトドメを刺したであろう「フレンドギャラリー廃止」
そして「カメラマーク規制」。
本当に審査しているのかもわからないあやふやな削除基準。
いつしか愚痴吐き場になっていった「うごマロのお部屋3D」。
日に日にワールドうごメモギャラリーを去っていく仲間たち。
そして、かつて「相棒」とまで呼んだ男が言い放った「永遠の呪い」となった残酷な一言。
それは「永遠の鎧」なんて強がったところで数年経った今もなお俺の心臓と制作意欲を蝕み続けている。

辞める理由もきっかけもいくらでもあった。こんなブザマな結末と分かっていれば、いっそ…………。
何故、俺は「みんなと同じように」うごメモに見切りを付けられなかったのだろう?
なぜ「退く勇気」を持てなかったのだろう?みんなが俺の物語やパイ増量について来てくれるからか?

「アイツ」が俺に叩きつけた「人気の毒」という言葉、
あながち間違いではなかったのかも知れない…………。

仕事も日に日にキツくなっていき、ズタボロになって帰宅すれば
飯、風呂、艦これのデイリー任務消化、2chTwitterやハイクの巡回、
そして一日のiPhoneの画像整理…………あっという間に深夜だ。
それでも俺は、「ゲームがしたい」「休みたい」と喚く己の感情を
「黙れーーーーーーッッッ!!!!!」と叫んで殴り飛ばし、執筆を続けて来たが
そんな破れかぶれな生活が長く続くハズもなく、平日はもう今夏の
夏パイキャン完結PVの執筆すら危うくなっている。

毎日が
自分自身との
殴り合い
いつも結果は
DOUBLE K.O.

ああ ナムアミダブツ
ナムアミダブツ
ムアミダブツ……






……………………だが、泣き言はもうここまでだ。
うごメモが存在しなければ、俺はここには存在していなかった。
はてなダイアリーすら書いていなかった。

神の鉄槌は振り下ろされた。
泣いても笑っても、ジーッとしててもジタバタしてても、
もうワールドうごメモギャラリーには半年しか猶予はないのだ。
ならば俺はこのワールドうごメモギャラリーに、うごメモを描き続けた9年間に悔いは残さない。
そして必ず、全ての制作をやり遂げて、最後の瞬間を笑顔で迎える。
最後まで共に多々描ってくれた、今や数少ない、かけがえの無い仲間達と共に!!!

You Go!!
I Go!!
Here we Go!!!

────決めるぜ、描悟。